管理人をデジスコ沼に突き落とした1枚の写真 
 
クリックで大きな画像が開きます 2010年11月27日ハマシギEEK個体    管理人が、野鳥園のwebsiteを押し付けられ・・・いや、携わり始めたのは2003年だから、早いもんで12年になります。最初は写真なんか撮ってなくて、サイトで使う写真はお客さんに頼んで、使わせてもらっていました。今になって思えば随分とお気楽な話ではあります(笑)
 そうこうするうちに、こういったサイトのコンテンツもテキストよりビジュアル重視がトレンドとなり、いやいやながらも「自分で撮らないと間に合わんな~」ということで、野鳥の写真を撮り始めたのですが、なんせ、野鳥園だから、シギチドリメインで干潟は立ち入り禁止という状況、「まっ、流行のデジスコなら、撮れんこともないだろ」と、自前のスコープに、適当に選んだコンデジを無理やりくっつけてごまかしてました。手元不如意は毎度のことながら、気合も入っていないので、当然ながら良い絵もあがってくる訳がありません。
  とはいうものの、続けていくうちに少しはましなカメラを手に入れて、たまには良い絵も取れるようになってきた頃、2010年の秋でした。「ハマシギの標識レッグフラッグに字が書いてあるのがいるぞ~!!」と一報が。当時は標識に、個体識別の記号を入れるというのは、大型のガンカモ以外は一般的ではなかったとおもいます。みれば、数十m離れたハマシギの群れの中に緑のフラッグを装着された子が・・・。
 「アラスカのノーススロープってことね・・・」とパシャリ。事務所に帰ってPCで現像、画像をチェックすると、なんと緑のフラッグに白色のアルファベットの大文字でEEKと読めるではありませんか。わけもなく嬉しくて、胸の躍る思いと同時に、「ああ、デジスコって、きれいな野鳥の写真を撮るだけやないんやな~・・・」と、これからの方向性みたいなものがなんとなく見えてきたような気がしたことを覚えています。

 
 2011年4月19日のハマシギEEK個体    
 後日譚になりますが、件のハマシギ君、大阪で越冬して北に帰る直前の翌年の2011年の春、もう一度撮影するチャンスがありました。(上の2枚) 左足の緑/EEKフラッグ以外に、右足にも、なにやらチップのようなものが・・・。調べると、これはデータロガーで、内臓の光センサで、日の出と日の入りの時刻を記憶し、PCに取り込み、処理し、日ごとの緯度経度情報を、マップ上にプロットしてくれるという恐るべきツール、ジオロケーターと称されることがわかりました。
写真はBritish Antarctic Survey & Biotrack.co.ukのサイトより

 
 2012年4月10日のハマシギEEK個体、右足のデータロガーが取り外されye/or/yeのカラーリングが装着されている  
 後々日譚になりますが、さらに翌年の2012年の春、件のハマシギ君は野鳥園の干潟にいました。みれば、左足の緑フラッグ/EEKはそのままに、右足に装着されていたデータロガーは回収され、替りに黄色/オレンジ/黄色のカラーリングが装着されています。このハマシギ君、ちゃんと、アラスカの繁殖地までの旅を終え、研究者に再捕獲された再放鳥の後、越冬地の日本に無事戻って来ていたのですね。
 野生動物にヒトの思い入れや感情移入する気はさらさらないのですが、このハマシギ君には、年に二度、繁殖地と越冬地を結ぶ数千キロの渡りをする、渡り鳥達の小さな体に秘められたすごいパワーと、強烈な意志力みたいなものを感じずにはいられず茫洋とさせられたのを、写真を見るたび思い出します。

  お話をデジスコに戻させていただきますが、管理人は、この一連の写真を撮った時、野鳥園で仕事をしていましたし、同時に現在もですが、シギチドリ関係の環境NPO法人に所属していて、野鳥は野鳥なんですが、どちらかというとシギチドリ関係の人となっています(笑)
 ここでご紹介したハマシギの標識個体の写真を撮ったとき、これから先も干潟や河口部、埋立地のシギやチドリと付き合っていく上で、ここでお話したようなデジスコは強力なツールで避けては通れない課題と実感したような次第です。
 右足を野鳥園のwebsiteという厄介極まりない泥沼に、左足をデジスコというこれまた邪魔くさい泥沼にとられてジタバタしていますが、もとが万事適当でアバウトな管理人を、少しはやる気にさせたのは、一羽のハマシギ君というお話でした。